ソファーで御年9△歳になるお年寄りがウトウトしている。
ほっぺた。まぶた。はな。入歯が入っていない口。口の中の舌。あご。
年と共に極限まで柔らかくなった顔のありとあらゆる表情筋は、首を傾けた方向へ…斜め下へ、斜め下へと引っ張られている。
地球の引力はこんなにも強いものかとつくづく思って見とれてしまう。
その表情筋達は、例えるなら、とろけるチーズ?とか、スライム?のように、今にも床にこぼれ落ち、吸い込まれそうになっている。原型がわからないくらいに「びろーん」と、とろけそう?になっている。
首を傾けすぎて疲れてくるのか、時々姿勢を戻し、頭をまっすぐにする。
まっすぐになったら、なったで、今度は顔が縦長に「びろろーん」となる。
そして、また、こっくり、こっくり……。
顔の表情筋達は、頭の向く方向へ縦横無尽、自由自在に引っ張られる。
その気持ち良さそうに眠っている姿を職員がニヤニヤ、クスクスと笑いながら見ている。
時に色々なお年寄りのそんな寝顔を見ながら「びろーん談義」が始まり、大盛り上がりする。
子供の寝顔は何時間も飽きることなく見ていられる。同様に、このようなお年寄りの「うとうと顔」も飽きがこない。当事者にとっては失礼な話だろうとは思うが…すごく絵になっている。
時間を止めてジーッと見ておきたい。
チクタク。チクタク。 うとうと。うとうと。 チクタク。チクタク。
ただただ、お年寄りの顔を眺めているだけの贅沢な時間。寝顔フェチとも言えるかな。
効率性とは無縁……あるがままの自然な時の流れ。そんな時間が大切だと思う。
ちなみに ⇑ これは、施設長の村瀬の著書「おばあちゃんが、ぼけた。」の表紙。
グローバル経済の中、効率性や生産性ばかりが求められがちな社会。だからこそ、こんな時間を大切にしたいと思う。
90歳代の父の顔を思い出しました。
ホント、「びろ〜ん」と縦長に伸びてました。
左右に傾きながらこくり、こくり。懐かしい。
今日は、お天気に誘われ墓参りに行ってきました。
宅老所と森のブログに返信をするうちに、
両親と過ごした日々を懐かしく思い出しています。
お父さんのこくり、こくり。
きっと私達とは違った感情で見入っていたのでしょうね。
絶え間なく変動していく社会の中で、ぽっかりとその場だけ時間が止まっている。
そんな場所はとても心地よく、心が落ち着きます。お年寄りも少なからず穏やかに過ごせることでしょう。
介護事業所の多くは、人材不足のため、このような時間の確保も困難で、息つく間もなくお年寄りの対応に追われています。
また、人材不足の波に任せて、生産性や効率性を上げなさいと国からの指令も出ています。
産業界の流れが福祉の世界まで…。
「びろーん。」を見て笑えるような、穏やかな時間を守るために自分達職員ができること、しなければならないこと、を考えていこうと思っています。