ある日のことでした。いつものように集いの場で、皆さん新聞を読んだり、おしゃべりをしながら過ごしていました。
その中で、フサエさんが”その歌”を突然歌い始めました。フサエさんが歌うのは決して珍しいことではなく、”げんじ唐いものうた”という十八番の歌があります。
けれど、”その歌”は初めて聞く歌!!
「これ、何の歌?」フサエさんと付き合いの長い職員も聞いたことがないのです。周りにいた職員がざわつき始めます。
「フサエさん、もう一度歌ってください」と隣にいる職員がお願いすると、フサエさんはまた歌い始めてくれました。
「あめのひ かぜのひ やしないし たかやけんじのいきみずや うぶすのかみのさもあらず われらにしょうりはきっとあり いわえきたえし うちのうら いわえきたえし うちのうら」
早速、職員は歌い出しやメロディを検索するのですが全くわかりません。周りのお年寄りに尋ねてみても、誰も知りません。
「しょうりはきっとありってあるけん。軍歌じゃないと」と一人が言います。すると誰かが軍歌で検索します。けれど、これも出てきませんでした。
「うちのうら」はフサエさんの故郷です。今度は「うちのうら」をキーワードに調べましたが・・・、わかりませんでした。
この日は何度フサエさんに歌ってもらったでしょうか。聞いていた職員も覚えてしまうほどでした。けれど、結局何の歌かわからないままでした。
夕方になって、フサエさんをお迎えに娘さんが来られました。”その歌”について職員が娘さんに尋ねると、それはなんとフサエさんの小学校の校歌なのでした。
Σ(゚Д゚)!!
私たちは、今日一日のモヤモヤがすう~と晴れていくような気持です。そして娘さんも一緒に、もう一度フサエさんの”その歌”を皆で歌いました。
あれから、一年近くが経ちます。フサエさんは今も時々”その歌”を歌います。歌い始めると、職員も他のお年寄りも一緒に歌います。あの日から、”その歌”は、私たちも知っている歌になりました。
校歌:特に小学校の校歌は 誰でも いつでも、歌えるもんですよね。
50年経っても、70年経っても 何年たっても!
私の母校は、中央区唐人町にある当人小学校。
私も、娘も、孫も 同じ校歌を歌ってきました。作曲者の定直泰雄先生は
当時の 当人小学校の 音楽の先生だった なんてことを 知っている人はもういないのでは?
ついつい私も口ずさんでしまいました「あらつのやまの・・・」
お年寄りのちょっとした様子に、ぴ~んとくるよりあいの職員。
気になることはトコトン調べて面白がる 皆さん。
素敵な記事でした! 道子
コメントありがとうございます。
広間に集いゆっくりと過ごしていると、
お互いの気持ちの交わりがあります。
フサエさんも居眠りされてるのかな?と思いきや、
他の人たちの会話を聞き、雰囲気は良く見ておられ
人や場に対する気遣いがあります。
他のお年寄りも同様に、集っているから気に掛け合い
その人から発信されることをみんなで受け止める。
日々の何気ない場面にこそ、その人らしさがあり
その積み重ねが暮らしを創っていくのだと思っています。