1日の始まり、よりあいの森では鍵を開け放ちます。
正面玄関の鍵、お年寄り一人一人が暮らしている部屋の鍵。デッキへ繋がる広間の鍵。開放感満載です。
たまにはふら~っと散歩に行きたい。外の空気を吸って気分転換したい。季節を感じたい。花が見たい。コンビニ行きたい。自宅はどっちだったかな?と散策したい。
なぜよりあいの森にいるの?帰りたい。早く帰ってやりたいことがある。
そんな当たり前でささやかな気持ちに添えるように鍵を開けます。
ただ、開け放しているがゆえに、時々?度々?扉のわずかな隙間を潜り抜けて猫のチャチャが紛れ込みます。
時には「ちょっとそこまで~。」と職員の目をかいくぐり散歩に出かけるお年寄りもいます。そして、そのお年寄りの少し後を職員が慌てて追いかけます。一緒に歩いた職員も外の空気を吸えるので嬉しかったり、気分転換になったりもします(^-^)
また、本気で職員の目をかいくぐられた時のために地域の方々にも事前に協力を仰ぐこともあります。
社会的によりあいの森のような施設が鍵を開けておくことでのリスクは本当にとてもとても大きな物だと思います。それなりの覚悟を決める必要があります。見失い、何か事故でもあった時は、施設や家族の責任ですよ!と問われてしまう可能性は大きいからです。
事故や転倒、行方不明等々、リスクを考えればきりがありません。
それよりもお年寄りが自由に出入りできる場所でありたいと思います。そして、何かあった時に責任の所在を、日々精一杯の介護をしている家族や施設に求める社会であってもらいたくないと強く願っています。
「鍵を開ける」
よりあいの森が大切にしていることの一つです。
これからも開放的にしているがゆえに起こるドタバタ劇を乗り越えながら、楽しもうと思います(^-^)
深いテーマですね。
認知症の母がいわゆる「徘徊」と呼ばれる行動を始めた頃を思い出しました。その当時は、室内をぐるぐる歩いていました。会話をしている途中で
言葉を忘れることもありました。
最初は突然の”いない”ことにパニックになりました。玄関ドアを施錠し、鈴をつけたり物を置いたり、あの手この手の策を講じました。しかし、何度もスルーして出て行きます。回数が増えていく中で覚悟をしました。
母にとっては、行く理由があるのではないかと。その強い思いを危険だからと言って一日中、監視するようなことは出来ません。警察には前もって「徘徊」を伝えていたので連絡を待つことにして、私が探すことは辞めました。不安や心配は尽きませんでしたが、幸いにも多くの方にお世話になりながら戻って来ました。「お出かけしてきたの」聞くと、
「いいや・・!?」と答えていました。
それから後、歩くことが困難になり「徘徊」は終わりました。
いまは懐かしい思い出となっています。
よりあいの森が大事にしている「鍵を開ける」は、両親がお世話になった宅老所の時代から続いていますね。
職員のみなさんは、お散歩にさりげなく寄り添いながら最後は、二人とも汗だくでよりあいに戻ってきたことを。しかったり、追求することはせず、お風呂に誘い、ゆっくりと休ませてありました。
介護で大事なことを学びました。
ご両親の介護を乗り越えてこられた経験からの実感あるコメントありがとうございます。「鍵を開ける」は宅老所時代から継続していることです。歩いて歩いて歩いて、身体が斜めになって、斜めに歩いて、疲れて一休みしてまた歩く。その力強い姿に驚くとともに、自分の専門職としての虚しさを感じてしまったことがあります。おっしゃる通り、鍵をかけたり、監視したり、薬に頼っても、本人の行きたい理由の解決にはならないかもしれません。逆に、付き合ったからこそ見えてくる支援の方向性はたくさんあるような気がします。これからも大慌てしながらお年寄りの後を追っかけていけるよう頑張ります!(^^)!